【理事のつぶやきシリーズ】
河野です。
お彼岸が過ぎて、ようやく朝晩涼しくなってきました。
私が子どもの頃は、彼岸入り、中日(春彼岸は春分の日・秋彼岸は秋分の日)、彼岸明けと3回お墓参りに行く人が多かったように思います。
お彼岸の7日間(中日と前後3日合わせて7日)は、ご先祖様にお供え物を絶やさずに供養しなくてはいけないと、幼い頃から当たり前のように言われてお参りに行っていました。
両親共働きの我が家では、平日はなかなか菩提寺まで行く時間がとれなかったので、お彼岸が近くなると家の仏壇をきれいにし彼岸彼岸入りには、母が米粉(上新粉)で作ったお団子を仏壇にお供えしました。
「おばあちゃんはこのお団子が好きだったのよ」と言いながら、一番たくさん食べたのは母だったように思います。
きっと母もこの素朴なお団子が好きだったのでしょう。
蒸し上がったピンポン球より一回り小さなまん丸お団子に、しょうゆをちょっとつけて美味しそうに頬張っていた姿を今でもはっきり覚えています。
中日には、そのお団子を蓮の葉に盛ってお墓に供えお参りをしました。
子どもの頃はそれが当たり前の行事でしたから極自然にやっていましたが、故郷を離れ、仏壇のない生活になった大学生時代からは、ぼた餅やおはぎが店頭に並ぶのを見て、『ああ春彼岸だなとか、もう秋彼岸なんだな』と思う位で、お参りとは縁遠くなってしまいました。
20代の頃、児童文学一本で経済的に自立できずにいた私を見かねて、評論家の先生が仕事を世話してくれたのがお寺の事務員でした。先生はその寺のご住職だったのです。
事務をしながら、先生の執筆のお手伝いや冊子の編集、自分の作品も書いて良いというなんとも恵まれた環境でしたから、二つ返事で働かせていただきました。
そんなわけで、お盆やお施餓鬼、お彼岸といったお寺の行事の数々が、私の暮らしの年中行事として舞い戻ってきました。
日々忙殺され、お盆やお彼岸にも実家に帰れないことが増えてきましたが、それでも「ああ、母はまたあのお団子を作ってお供えしているんだろうな」といつも懐かしく思っていました。
その母のお団子を食べたのはいつが最後だったでしょうか……。
昨年末に彼岸に旅立ってしまった母。ああ母の墓にも仏壇にも、あのお団子は供えられていない!!その現実にハタと気がついて、不意に涙が溢れてきました。
母の遺影は『いいよいいよ、あんたは忙しいんだから、無理しちゃいけないよ』と微笑んでいます。
誰より何よりあの白いまん丸お団子を食べたいくせに! いつも「いいよいいよ」と言いながらホントは食べたい! オーラ全開だった母。
もう!! しかたないなぁ。
今年の彼岸明けはちょうど母の祥月命日。母に団子の作り方は教えてもらわなかったけれど、子どもの頃、作っている傍に張り付いていましたから、作り方はなんとなく覚えています。
米粉を買ってこなくては……。財布を手に、私はスーパーに向かったのでした。
#りじつぶ